メッセージ

同窓会会長

はじめに、新型コロナウイルス感染症によりお亡くなりになられた方に謹んでお悔やみ申し上げますとともに、罹患された方々に心よりお見舞い申し上げます。
芦屋大学、芦屋学園短期大学(芦屋女子短期大学)の同窓会会員の皆さま、芦屋学園関係者の皆さま方におかれましては、より一層ご健勝のこととお慶び申し上げます。
令和3年第3回理事会にて小野前会長の後を引き継ぎ、一般社団法人芦屋大学・短期大学同窓会(アシヤカレッジ同窓会)代表理事会長に就任いたしました大学15期生の白石方一でございます。法人化に向けて掲げた「同窓会を卒業生自らの手で盛り上げていこう」をスローガンに、更に親しみがあり、一体感のある「ワンチーム」同窓会を目指して取り組んでいく所存です。
現在はコロナ禍の状況の中、同窓会の活動にも影響が出ておりますが、同窓会会員の皆さまには、これまで以上に同窓会の活動に関心を持っていただき、主体的かつ積極的にご参加いただきますよう心からお願いいたします。会長として役員の皆さまと共により良い同窓会になるよう尽力いたします。皆さま方の一層のご支援、ご協力を、何卒よろしくお願い申し上げます。

同窓会会長(代表理事 会長) 白石 方一

理事長

芦屋大学・芦屋学園短期大学(芦屋女子短期大学)卒業生の皆様、平素は母校の教育にご理解とご協力を賜り厚く御礼申し上げます。
まず、昨年10月にご逝去されました同窓会副会長 青井清一氏には学園理事として学園の発展にご尽力くださいましたことに心からの感謝と哀悼の意を表したいと思います。
さて、芦屋学園の80年を超える長い歴史の中で、昨年から続く新型コロナウイルス感染症の世界的流行により教育の現場にも大きな影響を及ぼし、様々な制約により、思うような教育が出来ないことも心痛むところであります。しかし、教職員が一丸となり学生諸君の大切な学生生活を精一杯サポートすると共に学園の永続と発展のため全力を傾注しております。学園にとって卒業生の存在が何よりも心強い存在でございますので、アシヤカレッジ同窓会会員の皆様には引き続きのご支援を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。末筆ながら皆様の益々のご活躍をお祈り申し上げます。

学校法人芦屋学園 理事長 山田 英男

大学学長

このたび芦屋大学学長に就任いたしました窪田幸子と申します。芦屋大学を卒業・修了されたすべての同窓生の皆さまに、芦屋大学学長としてご挨拶を申し上げます。
昨年からのパンデミックによって世界的に困難が続く中ですが、学生一人ひとりの内にある好奇心と感性を、多方面にのびやかに広げ、自己の関心のありかを明確にし、希望を与えることのできる教育の実現に努力したいと思います。
同窓会の皆さまのご協力とご支援を賜り、芦屋大学の発展に力を尽くし、皆様とともに、広く地域社会に存在感のある大学を目指したいと考えております。
なにとぞ、どうぞよろしくお願い申し上げます。

芦屋大学学長 窪田 幸子

学生部長

本学のクラブ活動は、運動系クラブは特待クラブを中心に活発に活動しており、文科系クラブもダンス部、バレエ部、吹奏楽部などの芸術系クラブをはじめ、ボランティア部や写真部など、年々活動が盛んになってきております。
本学のクラブ活動に関係する学生は、全学生中約4割と、数字だけでみてもクラブ活動に参加する比率が高く、また特待クラブの中からはオリンピック候補生も出てくるなど、量・質ともに充実をしてまいりました。しかし、残念ながら昨年度はコロナ禍により、授業だけでなくクラブ活動をはじめとする課外活動も大きな制限がかかった年でありました。まさに辛抱を強いられた年であり、青春時代の大きな思い出にもなるクラブ活動を制限しなければならないことは、学生部としても辛い決断でしたが、指導者を含む芦屋大学全体での取り組みにより、大きな混乱もなく、乗り切ることができております。社会に出ると、自分の意志とは関係なく不条理な場面に巻き込まれる事があります。しかしながら学生には今回の経験をプラスの教訓と捉え、トラブルに負けない心を持つ人材になってくれることを期待しており、そのサポートについては惜しみなく支援できる体制が、本学にはあると思っております。

学生部長 中村 卓司

短期大学恩師からのメッセージ

「想い出 感謝」

黄葉の美しい候となりました。芦屋大学・芦屋女子短期大学卒業生の皆様ご無沙汰しております。
昭和28年芦屋学園から招聘されました姉(阪田)と今は亡き母(中村)と二人で創設に関わらせて頂きました。当初は中学校の空いた2教室をお借りしてのスタートでしたが、僅か5年後、学生が増えますと突然、お借りしている保育室を空け渡さなければならない事態になり、考える間もなく雨の中二人で机、椅子、遊具や教材、絵本等の大移動。与えられた部屋は倉庫上の小さな1室。部屋の真ん中に柱が2本立っている様な所。保育室には程遠い場でしたが、母がピンクのカーテンを縫い少しでも保育室らしく工夫するも、スキップをしても子ども達は何度も柱におでこをぶつける有様でしたが、子ども達は何一つ不平不満も言わず、下の倉庫も魅力的な隠れ家の如く、全て遊び場と化し楽しそうに戯れる子ども達の笑顔に二人は救われたそうです。その後もプレハブの園舎も建てて頂きましたが、真夏の保育室の溶ける様な暑さも今は懐かしい思い出。幸い自然環境豊かな山の小さな幼稚園、園外保育では四季折々の草花、雑草、木の実、昆虫等を手に取り乍らの生きた教育。子ども達も逞しく育ってくれました。
ある日夜遅く、一人一人の子ども達の個人記録を書いている時、今は亡き福山重一学長先生がその様な場においでになり、「今に立派な園舎を建ててあげるから頑張りなさい」と言って下さり、そのお言葉通り昭和41年新園舎完成。と同時に立派な園バス2台も備えられました。それ迄の園児の送迎は一般の阪急バスのみ、他のお客様に気遣い乍らでしたので夢の様であったと申しておりました。福山重一先生ご就任以来、先生の全幅の信頼を頂き母も姉も保育に邁進する中、私(白石)も同園に奉職させて頂きました事は忘れる事が出来ません。その後、私はほどなく結婚の為に退職致しましたが、御校短期大学に保育科が出来、心身共に健康で明るい卒業生を保育者にお迎え出来ました事も大きな喜びでございました。その間、園児も増え母も22年間勤めさせて頂き66歳で退職させて頂きました。その後も園内外の環境も充実する中、姉(阪田)は平成3年第五代園長に就任。それと同時に姉を補佐する人にと当時家庭に収まっておりました私に再び幼稚園に戻って来る様にと今は亡き福山起彌先生にお声を掛けて頂き平成4年9月に復帰させて頂きました。その僅か21日後に福山重一先生御逝去に接し何としても先生の御意志に報いたいと心新たにした事でございます。
益々園児も増え活気づく中、私も姉を支えて15年励みましたが、平成18年3月阪田は74歳で退職。幼児教育一筋53年(以前の幼稚園と合わせ55年)の教諭生活に幕を下ろしました。同年私が第六代園長に任されるも退職後直ぐ癌を患いました姉(阪田)の看病の為に退職を願い出ましたが、後任が決まらず、7年間園長を勤めさせて頂いた後、67歳で退職。通年約23年間お世話になりました。
思い起こせば母体である芦屋学園の創立者 細野浜吉先生の建学の精神を軸に芦屋大学の大きな傘下で伸び伸びと働かせて頂き、又その間、姉や私は短大や大学の学生さんに幼児教育をお教えする機会をお与え下さいました事も幸せな想い出でございます。姉は生かされ早89歳、私も76歳を迎えようとしております。お互い一人身になってしまいましたので私は我家を残し今は姉の家にて二人で毎日楽しく過ごしております。
今、在職中を振り返って想い出します事は、何より素晴らしいお子様やご父兄の皆様にお出会い出来ました事とそのご父兄の皆様に助けて頂きました事が忘れられない大切な想い出となっております。そして最大の喜びは卒園生の活躍を目にする時です。老いた私達の唯一の楽しみ。昨年、現幼稚園第十一代園長 安藝雅美先生にお会い致しました時に今も卒園生のお子様やお孫さん又御校卒業生のお子様やお孫さんも来て下さっている事を伺い心から嬉しく感謝した事でございます。
毎年、桜の花が咲く頃決まって想い出します事は、六麓荘の美しい山々と芦屋大学から眼下に広がる素晴らしい眺望。この様な環境の中で永年勤めさせて頂きました事に心からの感謝を申し上げますと共に最後になりましたが、芦屋大学 芦屋学園の益々の御発展を祈念しつつ筆を置かせていただきます。

芦屋大学附属幼稚園 元第六代園長 白石 信子